日記・所感 / 2026-10-04

秋分を過ぎて、朝の散歩を再開した

秋分の日を過ぎて、雨が多い日が続くが、朝の空気がはっきり変わった。少し前までは、朝でもじっとりと暑かったのに、今は窓を開けると気持ちのいい風が入ってくる。

退院してから、散歩を控えたり、思いっきり歩いたり。 身体は純情に回復しているので、無理をするとまた体調を崩す様な不安は皆無。 家の中にばかりいると、AIを使い切ってしまう。 日の制限、週の制限、月の制限が以前よりも厳しく、早く訪れる。 その間を縫うように、複数のAIを切り替えてしのいでいる。 しのがずに、散歩すればよいのだが。 普段は車でメイン会場の瑞穂運動場を横切るだけなので、ここまでシナクテモと思うくらいお金をかけた後に歩くのは始めてだ。

歩くと、その無駄遣いが良くわかる。 目の前の遊具で沢山にぎわっていた公園は、ワンヘルスと同じようにオブジェのみで遊具がなくなり、大会前は子供や親がいなくなってしまった。 建て替えもやり過ぎ。 プロリーグすらないのに、ここまでお金をかける必要があるのかというレベル、付近の道路まで直すわ、知事のレジェンドづくりにどれだけお金を出さないとならないのか。  そんなことを考えながら、家に戻ると8000歩だった。 結構距離があるものだ。 同時に、裏側には立て直した家が多くて驚いた。通った道だけで40件は下らない。 

お金の計算をしてしまうが、子供たちを中高大と私立に行かせて、関西の大学で住まいまで手当すると、1円も残らない。 子供たちが終わってからやっと老後対策に移るのが実情だ。 たくさん貰っても、税金でとられて平等になるだけでなく、そのあとは差別され援助は受けられない、2重苦になるのだ。 社会保険料などのシステムだけでない。
一番の悪は、省エネ賦課金だ。 誰に払っているのか? 政府でない、電力会社に払っている、隠された税金だ。 考えたやつは相当の悪知恵かつ腹黒い。 当時から欧州で破綻していた制度だ。これが日本では騒がれない。 そんな馬鹿な。

とにかく、歩けば、足の運び、呼吸のリズム、周りの景色の見え方、新しい世界が開ける。 営業でエリアを決めて新規開拓するときは、誰よりも早くくまなく歩いてきたが、近所の土地となると随分違うものだ。

以前、このブログで「歩く」ことについてまとめたことがある。姿勢や歩幅、時間帯の話だった。あの頃は知識として書いていたが、今は体で確かめ直している感覚がある。知っていることと、できることは違う。当たり前だが、病気をするとそれがよく分かる。

歩いていると、考えごとが整理される。仕事のこと、AIで作っている仕組みのこと、これからのこと。 これからのことは、生活をどう立て直すかの一本だ。  保険、車、税金、国民年金、来年はお金は生活費ゼロ。 周りの誰にもそうさせたことがないから、自分でそうする運命にあるのは皮肉以外の何物でもない。 感情の性質を知っているから、あっそうですか以外の言葉がないが、そのあっそうの言葉のエネルギーは自分ではないところで動いてしまうから、あとは責任をとれない。 自分にはかかわりのないことだ。 

途中で、金木犀の香りがした。まだ少し早いかと思ったが、どこかの庭で咲き始めているのだろう。 フジファブリックの歌を思い出して鼻歌を歌った。 毎年この香りで秋を知る。今年はそれを、ちゃんと自分の足で歩いて感じられたことが、ささやかにうれしい。

止まってなんていられない。 高い能力を発揮させてくれる案件に呼応して、これでもかという成果で自己満足していきたい。